日々のため息

ため息。

アファーマティブ・アクション?

「だから、俺は、女性のためのアファーマティブ・アクション賛成派なんだよ」と、その「友人」はニヤリとしながら言った。これまで話の流れとその言い方から、彼がフェミニストの喜ぶ意味での賛成派ではない、ということがわかった。彼が女性の立場を積極的に向上させる施策を意味するアファーマティブ・アクションに賛成なのは、社会のしくみのために女性が不当に不利な立場におかされていると信じるからではなく、女性の能力が男性よりも劣っていると信じているからだ。つまり、彼にしてみればそれは、俺はお前のように劣った人間に機会を与えるためのアファーマティブ・アクションに賛成してやるよという、 辛辣な嫌味、のつもりだったのだろう。彼が私の「友人」なのかどうか、私は疑うべきだろうということは、ここでは置いておこう。私の方とて、このような嫌味に悦に入っている本人の「能力」の実態というものを鼻で笑うばかりか、今こうしてここで公にしようというくらいには、嫌な人間ではあるのだから。

 

さて、この「友人」の能力の実態とは以下のようなものである。すなわち、二人の子どもを持つ彼は、まず朝自分では起きられないのだという。必ず、妻と子どもが朝の支度にあくせくして立てる音を聞いてようやく起きてくる。ちなみに、私のよく知る人物であるその妻によれば、わざわざ目覚まし時計をけたたましく鳴らしながら、その音で起きたのを見たことがないとのことである。そのためにこの妻は、子ども達ばかりか、この夫にまで、何度も起きるように促さなければならない。そして彼女は、朝から一人、二人の子ザル達がそれぞれの時間に間に合うように、必死で朝食を作り、摂取させ、その合間にアイロンをかけ、荷物を確認し、洗い物をし、洗濯をする。その一切を、この「友人」はほとんどしたことがない。したとしても「最後まで」したことはただの一度もない。ギリギリまで寝ているのだからできるはずがない。そして、ほとんど気が狂いそうになった妻が、「早く食べろ」とか「早く歯を磨け」と声を荒げているのを聞いて、これはしまったと降りてくる。そして、自分が遅刻しそうな彼は、朝の喧騒にさらなる喧騒を加える。

 

世の中には、朝食だけは必ず家族で囲む家もあるように聞くが、そんなことは彼の家では不可能である。その原因は彼である。しかし、妻の準備した荷物を持って子どもを保育園に送り届ける彼は、世間でいうところの「イクメン」「良いパパ」ということになっている。そして時間を気にせず働き、飲み、世間でいうところの「優秀な男」ということになっている、と少なくとも本人は思っている。そうして子どもがすっかり寝静まった時間に、妻が、自らの快適な生活圏と精神状態を保つために必死でかたずけた家に帰ってきて、「食べるものはないのか」という。挙句はシャワーも浴びず、最悪な時には着替えもせずに寝入り、またいつもの朝を繰り返している。これが彼の「優秀」さの本質である。彼はそのうち体を壊すだろう。そして一昔前であればそれは妻のせいであると言われるだろう。しかし、その実態を見れば、それが彼自身の自己不管理の結果だということは日をみるよりも明らかだ。

 

この彼が蔑む「女性」は、彼が子どもができて以来七年間できたためしのない毎朝の雑事をこなし、夕方以降の時間は全て子どもに注いで 「普通の生活」を必死で守りながら、キャリアをつなごうとしているのある。本当の意味で、力の五割しか仕事に費やすことができないにも関わらず、一定の責任をたそうとしているのである。気が狂いそうになる日々を、まるで孤独なロビンソン・クルーのように、その時々の知恵を振り絞って保っているのである。その女性の「能力」を、朝自分で起きることすらままならない人間がばかにするなど、全く勘違いも甚だしい。目覚まし通りに起き、自分以外の人間の持ち物やスケジュールを管理し、自らを小綺麗に保ことができてはじめて、何か言えようというものだ。

 

明後日きやがれ、と私は内心思っていた。しかしである。 彼のような男のための「アファーマティブ・アクション」がなければ、共生などできないのだ。私は冷めた目で自らが「優秀」であることを疑わない男を眺めながら、「憐れみなさい」という言葉を噛みしめた。

 

毎日新聞・藤田結子さんインタビュー「共働きしたい男子たちよ!「家事と育児を半分やろう」」】

https://mainichi.jp/premier/business/articles/20170713/biz/00m/010/005000c